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須恵器

須恵器_f0148050_10232323.jpg 日長崎を見直すきっかけになったのが、この須恵器片です。
 須恵器は、1200度以上の高温で焼かれ、陶磁の母胎になったようなモノなので驚きました。
 東海地方で須恵器は、6世紀はじめころから、11世紀はじめころまで作られていたようで、作られた期間はかなり長きにわたっています。
 手にとった須恵器片には、内側に同心円状の模様が幾重にも重なって並び、内側を押さえ、外側から叩いて成形した様子が、見て取れました。
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 須恵器片の外側には、条溝状の斜線文が表れる代表的なモノでしたので、灰黒色の陶胎とも相まって、素人のわたしにでも、すぐ判断できるモノでした。
 この須恵器片の大きさは12.5センチ×5センチほどのもので、厚さは11ミリから15ミリですが、重さは180グラムほどもあり、ずっしりとした手応えを感じたものでした。

須恵器_f0148050_10543467.jpg ここでわたしの脳裏に浮かんだのは、川の上流に遺跡があり、川の流れが遺跡を削って、遺物を掘りだし、それをここまで運んできたことでした。
 それを確かめるべく、知多市歴史民俗博物館を訪れ、考古関連の学芸員さんに須恵器片を見せ、上流の遺跡の有無を訪ねました。
 学芸員さんは、奥の部屋から遺跡分布図を持ってこられ、その一店を指さしました。
 そこに書かれていたのは、「日長崎海底遺跡」という文字でした。

 わたしは、まさに遺跡から須恵器片を取り上げていたのでした。

by hinagacom | 2007-09-15 12:51  

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